Tokyo, 26/04/2023 都響演奏会 メンデルスゾーンのこと

Published on 2 May 2023 at 12:06

 

 

 14時に池袋で都響の演奏会。

今日は私の高校時代の上級生の娘さんである金川真弓さんが出演するというので、聴きに行った。指揮は小泉和裕で、曲はヴェルディの「運命の力 序曲」、メンデルスゾーンのVn協奏曲、そしてSym. n3の「スコットランド」である。

 

 ヴェルディ。都響の演奏は「ゴージャス」である。続く2曲でも共通しているが、やはり都響はこれまでのフルネ、インバルなどとの経験によってかなりの実力をつけた、ということだろう。国内だけでなく世界的に考えても、こうした「ゴージャス感」が出る演奏ができるオケはあまり多くはない。ましてやヴェルディのこの曲はロシアから委嘱された作品とのことで、前半の木管楽器から始まりハープが入る中間部からは華やかな曲想にはなってはいるが、全体には「泥臭さ」が漂う曲である。それでも今日の演奏は木管奏者のセンスに助けられ、後半部でも輝かしさがあった。これはもはや「都響の音」ということができるだろう。 (それにしても、これは元々舞台のオケピットで弾く曲で、イタリアでのことを思い出してみると「あのそこはかとなく鄙びた感じ」を前提として作曲したのだろう? それをこのようにフル・オーケストラで演奏するようになったのは誰からだろう? ヴェルディにしてみればこのゴージャス感は「感謝」に違いない。 「イタリア人」にしてみれば、今日の演奏について「この響きは我々のものではない」と言うのだろうけど・・。パガニーニの曲についても同じことが言えるが・・・。)

 

 続くメンデルスゾーンのVn協奏曲。このところチャイコフスキーの協奏曲は何度か聴いているが、メンデルスゾーンはライブでは久しぶりだ。メインの「スコットランド」と並べて聞くと興味深い。メンデルスゾーンはハンブルグ生まれのユダヤ系であることは有名だが、改めて経歴を確認すると「なぜこれほど北部に惹かれたのか?」という問いがふと浮かぶ。 単に北海に近い生まれ故郷の影響なのか・・・彼は特にイングランド・スコットランドを訪れた時の感動をずっと保っていたようである。土地の人々の生活や精神性に共感した様子が曲に表れている。(楽曲解説を読むと、Sym. n4「イタリア」もこの「スコットランド訪問の余韻」の中で作曲された様子である。)・・・こうしたセンスが、Vnコンチェルトにも満載である。メンデルスゾーンが書いたオケの伴奏には至る所にその記号が現れる。こうした点を考えると、その作風は40歳上のベートーヴェンとはまったく異なることがさらに浮き彫りになる。この曲から考えると、ベートーヴェンのコンチェルトは「こしきゆかしさ」に溢れている。それは、Sym.にも言えることだ。ほんの数十年しか違わない時代にこれだけの差が出たのはなぜか?非常に興味深いことだ。そして、このことはおそらく「メンデルスゾーンのバッハ再発掘」にも大きく関係していると思われる。(ベートーヴェンはケルンに近いボンの生まれだが、それはまた別の機会に。)

 金川真弓さんの演奏だが、こうしたメンデルスゾーンの状況を良く理解した演奏である。1830年代のヨーロッパはフランス革命・ナポレオンから40年ほど経っていて人々の生活観はもはや近代である。産業革命が広まって活況を呈し、人々の生活観が開放され開花した時代だ。この曲はこうした中で書かれた「一幅の絵画」である。金川真弓さんの演奏はそのロマンティック、リリックを良く表現したものだった。

 

 今日ひとつ気がついたのは、終楽章の終盤834小節目くらいからの「ソロが高く上がって降りてきてオーケストラが入ってくる部分」である。この最後の848小節目でG線を使ったわけだが、それが金川さんの今日の演奏の全体の雰囲気の中でほんの少しだけ突出したイメージになってしまった。しかし、それは金川さんがいけないのではなく、考えてみるとこの部分は多くのヴァイオリニストがG線を使って弾くのである。・・・これは誰かが指定したのか?メンデルスゾーンの楽譜では特に指定されていなかったと思うので、やはり誰かがそのように「制定」したのだろう。改めていくつかの録音を聞いてみると、1960年代にはすでに多くの演奏家がこのように弾いている様子である。・・・しかし、だ。この楽章全体を考えると、このメンデルスゾーンのリリカルとファンタジーの中で、そのように弾くのにはかなりその前後で工夫をしないと、上手くまとまらない。非常に工夫が必要である。もしかしたら、それがソリストにとってもオケにとってもこの曲の腕の見せ所、ということになっているのかもしれないが・・・さまざまな録音を聴くとこの前後のオケの方も異様に派手だったり素晴らしいセンスを見せたりしている・・・書かれている「piu forte」をどう考えるか・・・この848小節目ではオケの伴奏は消えている。 もっと違うポジションも検討の余地がある・・・

T.

 

 

Create Your Own Website With Webador