アトリエから - 1

Published on 5 April 2023 at 11:30

 

 

ところで、

「楽器製作のベテラン」という存在についての概念だが、人によっては「たとえば、と言ってスクロールをザッザッと作って『はい、アマティ』『はいデルジェス』と目をつぶっても簡単に作れてしまう人物」という概念を持っているかもしれない。

 しかし、我が師である大川文夫氏から私が学んだことは、「楽器製作に重要なことは、何はともあれ『イカしている楽器を作ることだ」ということだ。「何かのモデルを参考にして出来た楽器がたとえそのモデルに見えなかったとしても、『イカしている、色っぽい楽器』であることの方がはるかに重要だ」ということ。

 これを両立したのは、やはりフランスの「Vuillaume (ヴィヨーム)」である。Vuillaumeは、目の前に様々な名器がズラッと並んでいる環境を手にした。そしてそれらに対する情熱が湧き上がり、丹念にレプリカを何本も作り、学んだのである。そしてそれを昇華させて「色っぽい楽器」を作るに至った。ヴィヨームの逸話は多数ある。修理のためにVuillaumeのところに本物のStradivariを預けた人物が出来上がった楽器を受け取りに行き、その素晴らしい音色に満足して礼を言うと、『実はそれは私が作ったレプリカです』とVuillaumeは言って預かったStradivariを差し出した。持ち主は自分のStradivariと見間違ったVuillaumeの楽器に大変驚いた、などなど。ここで重要なことは、いくら精巧に作ってもそれだけではStradivariには見えないこと、本物に匹敵する「色気」がなければ本物では無い、ということである。

 

 Vuillaume以前は複数の楽器のモデルに取り組む人物はそれほど多くなく、同じくフランスのNicolas Lupot (ニコラス・リュポ) はDel Gesuモデルも作ったようだがf字などはLupotのセンスに統一されている。それ以外はひたすらStradivariを作ったようだ。フランスの同じ時代のChanot(シャノ)もいくつかモデルがあるようだが、基本的にはひとつのモデルを昇華させ、素晴らしい色気のある楽器を作っている。

 (現代のイタリア・クレモナ学校のスタイルは、このフランスのVuillaumeの製作スタイルに沿った「クラシックなモデルを4つほど作り分けることを学ぶシステム」のようだが、「色気」の方は・・・。)

 

また、「弓」についてだが、「楽器の美しさのテイストと同じテイストの弓も作り、それを一組とする」という考え方もある。Vuillaumeの作品も一部はそういうコンセプトのものだった。「Stradivariは弓も作った」という話もあり、その当時依頼主に納品する時には「ひと組の作品」という意識があったのかもしれない。こうしたコンセプトはフランスの「宝飾品、服飾の世界」には現代も息づいていることに、気がつくだろう。「コーディネイト」とはまた違った「Ensemble アンサンブル」というコンセプトである。

 とはいえもちろん、1950年代くらいには「Archetier アルシェティエ・弓職人」という分野は確立されていて、それぞれ独自の美的センスが発揮されている一つずつの作品として楽器とは別に評価されている。

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(補足:上記のLupotの楽器について、「Del Gesuモデル」と言われる楽器を見て「f字が違うじゃないか!」と憤る人がいるかもしれない。しかし、それは見当違いというものだ。「f字もDel Gesuそのものでなければならない」といった考え方は「決まりごと」ではなく「思い込み」である。LupotのDel Gesuモデルのf字にはLupotの「まとめ方のセンスの良さ」が十分に表れている。)

 

*****

 

 つくづく思うが、

「Stradivari」に迫ったのは「Lupot」と「Vuillaume」である。「Stradivari」への情熱はフランス人である。あの「Guadagnini」ですら晩年になるまでは「Stradivari」など先代のことはほとんど意識していなかったことは、残されている作品に表れている。そしてそれは、その後の多くのイタリア人メーカーも同じことが言える。

「Lupot」と「Vuillaume」は「Stradivari」を「体感」したかったのではないか?もしかしたら実際に「体感」したのかもしれない。(これこそ「ほとんど憑依」である。その感動がまた情熱をさらに呼び起こしたのだろう。)

 

 フランスには石膏彫刻の世界に「彫刻デッサン」という基礎がある。モデルにする有名彫刻家の作品を深く観察してその中にのめり込む作業である。その体験から「彫刻家としての精神性」を体得する。

(これは、クラシック音楽家の世界にかなり似ている共通の作業だ。)

 

 こうした空気を吸い込むためにパリに移動した。

 

 

   Del Gesu pour N.Lupot 1810年製作

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