いきなりメシアンだ。
20220914 Esa-Pekka Salonen指揮のパリ管弦楽団。場所はP.ブーレーズ・ホール。
なんだか知らないが、「パリに移動」が始まってから「タケミツについての100の質問」?のようなものが続いて噴出して、「パリの名門オケの演奏するクラシック作品」よりも「現代もの」の方が多い状態だ。
これと同時に、この「テュランガリア」は、私がパリに本格的に移動することになった2018年末から2019年にかけて東京で話題になった曲だ。
(まさか、私のパリへの移動には関係が無いと思うが。)
2019年の1月には、都響が1月の定期で演奏してその後2月にN響がパーヴォ・ヤルヴィで演奏するなど「テュランガリア」の饗宴となった。
ここで、ひとつメモしておくが、「フランス近代音楽」というとなにかにつけて「ガムラン」という言葉を呪文のように出してくる人々が多いこと。日本人だけでなく、世界的な指揮者のインタビューなどを見ても何か取り憑かれたように「ガムラン」という「呪文」が出てくる。
この思考手順は間違っている。
誰がこんなことを言ったのか?
なにかゴーギャンの作風と混乱して言ったのではないか?
この手の話は「フランス音楽に対するイヤミ」を言う人物による発言に端を発している場合が多い。 この手の話は、たとえば「バロック」という言葉も同様で「歪んだ真珠という意味のスペイン語」から発生したものだ。この言葉には諸説あるが、ある時代の「実はスペイン人」が「ローマ帝国の栄光にすがっている人々」に対して吐いた言葉かもしれない。「素性は俺たちと一緒だろ?」という意味を込めて。
「フランス近代音楽に対して『ガムラン』という言葉を結びつけた人物」は、これと同じセンスを持っている人物、という気がする・・・。
それと同じように、「メシアン=敬虔なカトリック信者」というレッテルを貼っている人物がいる。
これも「トラブルの元」である。
たとえばあのバッハも、「世俗音楽」と言われる楽曲を多数書いている。
あの有名な「無伴奏ソナタ&パルティータ」もその一つだ。
ピアノコンチェルトもその一つだ。
これらはフランス舞曲などに共感したバッハ、の人柄を十分に味合わせる音楽である。
バッハは、実は「世俗」の音楽の方が好きだった様子すらある。
そして「素晴らしく感動的」である。言葉が無いほど。
しかし、世界の現代人はメシアンにもバッハにも「キリスト教徒のレッテル」を貼り続けている。
フランスにおける「キリスト教」は、ほとんど1500年程度である。
これは、「西欧の歴史とヴァイオリンの真実」を探るこのBlogの重要なポイントである。
この後も何度か出てくるだろう。
(欧米人もビックリ、か?)
「西欧発祥のヴァイオリン」がなければ、クラシック音楽、だけではなくあらゆるジャンルの西欧音楽は無かった・・・。
・・・
話は戻って「メシアン」である。
サロネン指揮パリ管の演奏を聞いてメモしたことをそのまま書く。
・おそらく、この曲に出てくる「 Turangalîla」という楽章は「古代、あるいは『ヒトの中に潜む原始的なもの』『DNA』」というものである。
フランスには、西欧人の祖先である「ケルト人あるいはガリア人という人々」が、「ラスコーの洞窟壁画」「クロマニョン人」などの記号を残した。メシアンがフランスの森林で鳥の声を採取してそれを楽音に置き換えて「鳥のカタログ」を作ったことは有名である。
だいたい、「敬虔なキリスト教徒」のメシアンが突然「ペルシャ方面の神や伝説」などを題材にする、という考え方が「矛盾」である。
それではこの曲とメシアンの関係がまったく説明できないだろう?
仮にメシアン自身がそのように発言していたとしても、それは「なにかウソをついて隠している」「メシアン自身による別の記号が隠されている」と考えた方が良い。
彼は、フランスの森で鳥の声を採取しながら、遠い祖先である「ラスコーの壁画」「クロマニョン人の時代」などにものめり込んだ、と思う。
(その行為が、あの「イタリア」という国の「或る聖人」のエピソードに似ているので、ますます「メシアンは敬虔なキリスト教徒らしい」という話を増長させた。この「聖人」はフランスの聖人ではない。フランス側がこの「フランチェスコ会」という団体を認定しているのかは知らない。)
・そして、メシアンは「フランスのキリスト教徒」という立ち位置から、「西ローマ帝国の崩壊とフランクのピピン、クロヴィス王、フランク王国の誕生」という経緯について、他国の人々よりもかなり深く思索を行なった可能性がある。
(「フランスのキリスト教徒」については書かない。今は「秘密」である。)
全篇を通して、結果的にだが、「メシアン」は「春の祭典」の「ガリア・フランク版」を描きたかった、のかもしれない。
その中にイベールなど現代フランス人作曲家のセンスも滲み出ている。フランス音楽そのものの作品の一つである。
(フランク人はゲルマン人なので、ゲルマンらしい重厚さも表出する。)
・最終楽章だが、最初に聴いた時には「USA音楽」と思うかもしれない。しかし、これはやはり20世紀の「フランス音楽」である。
なにか「フランス音楽であることを忘れたかのような演奏」も少なからずある。
この最終楽章になると「やり過ぎ!」の「やたらに速いだけのドンチャカ演奏」に陥る場合も・・・。
あれだけ「フランスの森の鳥たちの声」を採取していた人物なので、フィナーレも「森林・ガリア・フランクの森に覆われた大地」から離れない意識がある・・・。
・・・
「遠方より友が来て、酒を酌み交わす」・・・これはショスタコーヴィチとドビュッシーというほど隔たりがある関係ではない・・・
(本当はDebussyのことを考えたいのだが・・・ )
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