先日のメシアンの余談だが、
ある日、モンマルトルの丘を登ってみると、「パリの歴史的スポット」の一つに指定されている建物が目に入った。説明を読んでみると「パリに一つ小学校を作った女性が住んでいた家」である。女性は「Louise Michel ルイーズ・ミシェル」という。
(フランスでは非常に有名な人物である。)
この丘にやってきた時の様子として、「私はモンマルトルの子供たちを愛していました。親切で率直で、いたずら好きで、ひな鳥のようにおしゃべりです…」という言葉を残している。その子供たちが賑やかに暮らしている様子が目に浮かぶ。何気なく観光スポットとして訪れているが、かつてはこの丘はこうした風景だった・・・。
フランス人はデザインの中に古くから鳥や動物のモチーフを使うことは有名だが、このように「鳥や動物」のニュアンスを我々が想像している以上に無意識に社会の中に感じるようだ、と僕は「イタリアからパリに来てから」感じるようになった。
普段はなかなか、つまり「観光で訪れた外国人」にはほとんどわからないかもしれないが、フランスの人々は生活の中で動物たちと無意識に溶け合っている、良い言葉がなかなか浮かばないが、馴染んでいる様子がある。(しかし、それはベタついたものではない。フランス人は「猫」を好むが、猫との相互的な意識上の距離感がちょうど合うのだろう。生活の中での「犬」との距離感は、ややツラそうな様子である。)
「鹿、馬」や「鴨、鵞鳥、白鳥」などが生活の中にいても、特に特別なものではない、というような・・・。
そういった様子が、生活の中にある何気ないイラストなどに現れている。
(前回の写真を参照。)こうしたイラストや写真などが、やはりどこか「ああ、フランスだ」と感じさせるのはこういった理由である。
フランス人は「動物を擬人化させることが得意だ」、というか、こうしたイラストに表れているように「人間に無意識に動物を連想する感性」を持っている様子がある。
メシアンが「フランスの森林の鳥たちの声」を採取して完成させた「カタログ」という作品集は、このことに関係がありそうである。上記の「小学校教師」が初めてモンマルトルを訪れた時の印象、のように、「鳥の声」になにか「ヒト」を重ねていたのかも知れない。
そして、
このこととあのDebussy ドビュッシーで有名な「Faune 牧神」というものとは、大きな関係があるだろう。
「半神半獣」
Debussyが「ワーグナーはすごい!すご過ぎる!」と言いながら「しかし、私たちの音楽ではない」と言ったことは有名である。
そして、作品を重ねながら生み出した名曲の一つが「牧神の午後への前奏曲」である。
この作品は、「記憶にも残っていない古代からのサイン、と同時に数千年経った現在のフランス人の精神性の中に存在するもの」とを同時に描いている。
「D.N.A.」
フランス人は、敏感にそれを感じる。
しかし、これは単にフランス人だけの世界ではない。
「西欧」はかつて大部分がケルト人(ガリア人)の土地で、そしてフランク王国だった。
それゆえに、この「牧神の午後への前奏曲」をイングランド人(アイルランド人、スコットランド人)が聞いてもドイツ人が聞いても、「遠い彼方からの呼び声」を感じるのである。
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モンマルトルの丘だが、パリの景色が見える南側でなく写真のような北側の景色を見ていると、ふとベルリオーズの「幻想交響曲」の第3楽章が聞こえてくるような気配を感じる。(ルイーズ・ミシェルは30年ほど後の人物だが、ベルリオーズの時代にはほとんど建物が無かったようだ。)ここから見えるゾーンは田園地帯だっただろう。ベルリオーズはこの丘の途中に佇んで、二人の羊飼いの吹く牧歌をイメージしている・・・という光景が浮かんでくる。 このモンマルトルを南側に下っていった場所に、ベルリオーズがいた「当時のパリ音楽院」があるのだ。ベルリオーズはこの辺りにも散策に来ただろう・・・。
*この話がマーラーと絡むのだが、それはまた別の話・・・
モンマルトルの北側の階段を上がった景色。
モンマルトルから見える夕日。Debussyも見ただろう。
パリ管弦楽団、本拠地ピエール・ブーレーズ・ホール
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